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続いて山川さんはケータイなどのネットワークコミュニケーションを考える上で重要なこととして、知識伝達の方法が変化したことをあげた。
原始から中世までの知識伝達の方法は、親や古老といったムラ規範のシステムに依存してきた。しかし時代が下り近代になると知識伝達の主役は学校教育などの社会システムへと移行し、さらに現代においては旧来のシステムでは伝達できない知識、つまり親や社会の教育システムより子供の方が先に知ってしまうような知識というものが爆発的に増大してしまったため、旧来の知識伝達方法は必ずしも機能しなくなってしまったという。そして、そのような旧来の知識伝達ではカバーできない最たるものがケータイなどでのネットワークコミュニケーションの技術ではないだろうかとした。
そして、このような旧来のシステムでの知識伝達が不可能な知識の増大はまた、さらに旧来の知識伝達のシステムの権威を落とすことになり、その影響が最も現れているのが親の権威の失墜であり、ケータイの普及というものがそれに輪をかけた結果、今までの家庭規範が完全に崩壊してしまったという。
そして「もし関係の方がいらっしゃったら申し訳ないが」と前置きされたうえで、「現在の様な社会状況においては、Lモードのようなものは絶対普及するはずがない」とした。山川さんによるとケータイの普及という事象は、家庭の規範にとどめを刺すものではあるが、そもそも家庭規範の破壊が進んでいない社会には起こりえないものだという。つまり、家庭規範が崩壊し個と個という関係が確立したからこそはじめて、ケータイの普及や、そしてそれに伴うi-modeという情報提供サービスが普及したのであるとした。そして、これだけ家庭規範が崩れ、個と個の関係が進んだ世界おいては、Lモードのような"家庭"をステーションとしたものの上で、パーソナルな情報サービスを提供しても絶対に普及する筈はないのに、i-modeが成功したからといって、それをそのままの形で家庭に流し込むLモードの発想というものは非常に安易だったのではないかと考えているという。
そして山川さんはドコモ社内にてこのような話をするとまわりから「言っていることがよくわからない」という反応が返ってくるという(!!)。そこで山川さんは「iモードが普及するような世の中でLモードのようなものを普及させようというのは、江戸時代に自動車の生産ラインを機能させよう、というのと同じくらい荒唐無稽なことなのではないですか?」という例え話を社内にてするということだが、やはりその例えは会社の周りの人には理解されず「うーん、この人何言っているのかなぁ、という目で見られてしまいます」ということになってしまうという(……ほんとですか?あんまり信じたくないんですが…)。
ところで、こういった家庭規範的な視点で各国にも目を向けてみると、山川さんはこういった子供にもケータイを持たせ、家庭規範の崩壊が特徴的に進んでいる日本のような現象世界的にもかなり珍しいもので、例えば欧米においては子供にケータイを持たせるということはほとんどないという(各国にて普及率が高いのはプリペイドケータイを大人が一人で何台も持っているため)。そしてそれはなぜかというと、米国人などにいわせれば、子供というものは高校高学年になって自分の車を持ったとき初めて子供が親の管理下から離れる環境というのが手に入るのであって、それまでは学校に行くにも親が送り迎えするか、スクールバスで行くかのいずれかしかなく、日本のように親元から離れ一人電車に乗ってお稽古にいくということがないため、子供の安否確認のため携帯電話を持たせるという発想自体、欧米人には理解しがたいものだからだという。
そして山川さんは、日本のように子供にまでケータイが行き渡ることによる、欧米と比較しての子供の過剰な個の確立の進行というものは、ひとつには親の権威を用いた子供の規律性を育てるというシステムを失わせるばかりではなく、生物の基本である親が子供をプロテクトするという機能自体もまた失わせるものではないかとした。
だが、このように子供が大人の管理下から若年のうちから離れてしまい、ケータイなどの技術知識も子供の方が先を行ってしまう現代においても、まだ大人にできる知識伝達があり、それが「不易流行」という言葉に代表される、「不易」を求める子供の「流行」の手助けを伝達するという役割であり、人と人とつきあう上でのベースとなる規範概念を教えてあげることなのではないかとした。
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